朝日新聞で、「憲法って何?自民党案を読む」(第3社会面)、3回シリーズで、各回ふたりの論者が語っている。
10月30日(上)前文・12条(国民の資格)
石坂啓「権力者の真意探れ」:前文を読み「だまされないぞ」「改憲をゆだねるわけにはいかない」と思う。「改憲」のほんとうの狙いは、正規の軍隊を持ち、いつでも戦争ができる国にすること。「国や社会を愛情と責任感をもって支え守る責務」とは、そういう国に見合った国民になれということ。わざわざ12条で、「責任と義務」を書くのは、これから国に奉仕しなさい、そうすれば国が認める範囲で、自由と権利を与えますと、国民に縛りをかけている。しかしもともと憲法は私たちが監視し、国が暴走しないようにするための決まりのはず。性格を180度変えてしまう。現憲法の理念は世界に誇れずはず。安心して子どもを生める社会かどうか、将来まで見すえて想像してほしい。
広兼憲史「改正を考える好機」:「加治隆介の議」で、憲法に軍隊を保持しないとあるのはおかしいと、改憲宣言をし、「軍国主義者」と批判されたが、改憲を冷静に語れる世の中になった。与党が衆院3分の2以上占めた今は、真剣に考える良い機会。12条に「自由と権利には責任と義務が伴う」と明言されているのはもっとも。義務ばかりが大きくなるのでは、との危惧もわかるが、日本は成熟しているので、人権を抑え込む行き過ぎが起きる国家になるとは思えない。「愛国心」という文言がないが、家族を愛するような純粋な感覚を培うのは悪いことだろうか。草案には「加治」は反映されているようでうれしい。「島耕作」も改憲賛成派。
11月1日(中)9条(安全保障)
福井晴敏「自前の広範な盾必要」:「亡国のイージス」で見てほしかったのは、「打たれる前に撃つ」と「撃つ前に考える」の主張のぶつかり合い。軍隊も戦争も永久に放棄することを考えているわけではない。完全非武装はファンタジーで、国を支えられない。日本の国防を「槍衾」というが、対潜・掃海能力は、米軍がギョッとするほど高い。日米の国益は一致することはないので、自分の盾だけで全土を覆えるように、体制変更を進めておかなければいけない。また、何の戦争教育もしないでの改憲議論は危険。自前の広範な盾・防衛体制の知識もないまま、九条を棄てようとしている日本は、思春期の少年みたい。九条を隠れみのに「貯金」と「知識」を増やすのも大人への道。今の解釈で、やれることはまだある。
是枝裕和「非戦の決意 再定義を」:第2章のタイトルが「戦争放棄」でなくなったのが、最も象徴的で「戦争放棄」を放棄したということ。これがまさしく狙い。アメリカの戦争に今以上の支援をする方向を目指しているのは間違いない。九条をアメリカの軍事戦略と一線を画すための担保としてとっておくのが、ぎりぎりのリアリズムだ。「正しい戦争がある」という考え方を否定するものとして、九条を積極的に国際的共有財として活用していくべき。アジア侵略の加害者であった記憶を、自らに刻みつける非戦の決意として9条を再定義するべき。9条は内戦問題ではなく、アジア全体の未来にかかわる問題。ある時期まで映像以外では発言しないと決めていたが、改憲ムードがどんどん広がり、自分の言葉で話すべきと考えが変わった。
11月3日(下)は、人権を主題に、秘書給与詐取で獄中の障害者と接し、自民党草案の障害者に関する条文の後退を指摘する山本譲司、水俣病・灰じん爆発の公害・労災被害者支援活動から、「公益」の強調の危険性と、運用で人権尊重と弱者の立場に立つことが重要とする原田正純、の2氏を掲載。
広兼氏のあまりにあからさまな改憲「肯定論」と福井氏の意外な9条「擁護論」が、印象的だった。